夢の中へ。
どうやら私には、夢遊病の癖があるようだ。
朝になって眼が覚めると、傍らには釣りに行く時に被る帽子が転がっていたり、
いつの間にかフィッシングベストが布団の中に入っていたりする。
パジャマの裾が濡れていることもしょっちゅうだ。
ストレスが溜まっているのに釣りに行けない時は、
意識がないままに夜中に釣りに行っているのかもしれない。
それとも夢の中で釣って、川に行けない憂さを晴らしているのだろうか。
風邪をこじらせてしまって、熱がなかなか下がってくれない。
咳と一緒になって夜になるとダブルで攻撃してくるものだから、最近は日が暮れるのが怖い。
通風だからホントは飲んじゃいけないのだけど、アルコールの力を借りて無理やり床につく。
しばらくウトウトしたり、また熱と咳でうなされたりしながら、夜明けを迎える頃になって、ようやく浅い眠りに落ちる。
熟睡できないので夢を見ることもない。
ずっと睡眠不足が続いたままだ。
昨夜もいったんは睡魔に襲われたのだが、すぐにゴホゴホ咳が出て目覚めてしまった。
うがいをするとちょっと楽になったので、このまま眠ることができると良いのだが...。
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ふっと気がつくと高速道路を走っていた。
きっと夢だろうと思って右の頬をつねると痛くない。
おまけに車の周囲は幻想的な霧が掛かっている。
いかにも夢の中にありがちな風景だ。
ブ〜ンと何処かで虫の羽音が聞こえたようだ。
音まで聞こえてくるとは、今日の夢は飛びっきりリアルだな、
疲れが溜まリ過ぎていて、神経がおかしくなりかけているのか...。
試しに左の頬をつねってみると、ちょっと痛いような気がしたが、
痛みに現実感がないので、やはりこれは夢の中の情景だろう。
ということは咳が治まって、今は眠っているのか。
ようやく訪れた睡眠だから、しめしめこのまま夢の続きを見るとしよう。
そう思っているといきなり馴染みの川についた。
体調が悪くて、ここしばらく渓流に行けない日々が続いている、
半月振りの釣りだから、今夜の夢はせっかちだ。
日の出直前の馴染みの川は、いつもよりちょっと水量が多い。
先日の台風の時の増水が、まだ少しばかり残っている。
ということはひょっとして、ダムから良いサイズのヤマメかイワナが上がってきているかもしれない。
馴染みの川の下流部は、早い瀬が続くチャラチャラした流れだが、
本流差しの大物が、思いがけない場所から出てくるので気が抜けない。
早朝の光量が少ない時には、白っぽいフライのほうが視認しやすいので、
お気に入りのパターン、#13のキハダをティペットに結んで、
足元を確かめながら釣り上がって行く。
足に力を入れてもリアリティがないので、
こけつまろびつ、ひょろひょろ歩く姿はまるで神経を病んだ患者のようだ。
何のヒットもないまましばらく歩くと、やがて大きな渕に出た。
下から上がってくる魚が必ずいったんは止まるプール。
ここで出なければ今日はハズレだ、
そう思いつつ早い流れの筋にそっとフライを浮かべると、
”バシッ”、1発で出た。
久し振りの釣りの夢は展開が早い。
よほど釣りたかったのだろう。
しばらく走り回ってから差し出すネットに収まったのは、
良型のオスのヤマメ。
スコットの12インチのチェックには2cmほど届いていない。
どうせ夢なのだから、12インチを越えてくれりゃ尺ヤマメなのにと思うのだが、
夢の中でも現実は厳しいようだ。
.とはいっても久方ぶりのヒットは嬉しい。
良型をゲットすると、
誰かに見られているのじゃないかと、つい周囲をキョロキョロと眺めてしまう。
夢の中でもいつもの癖は抜けないようだ。
何となく視線を感じて頭をひょいと上げると、
見ていたのは木立ちに掛かる藤の花、
観客がいないのはちょいと寂しい。
だが待てよ、そういえば藤の花は我が一族の家紋じゃないか、
ご先祖様が応援してくださったのか...。
そんなことを考えていると、これ1匹で満足したようで、やがて眠りから醒めて意識が戻ってきた。
なんだか左の頬が痒いので、そっと手を当てるとそこがちょっと膨らんでいる。
ブ〜ン、蚊かなにかに刺されたのかもしれない。
膨らんだ頬を左手でぽりぽりかきつつ、その指をふっと眺めると、指の先に小さな鱗が一枚。
ヤマメは鱗が剥がれ易いからなぁ、してみるとさっきのヤマメは夢じゃなく、実際に釣ったのか?
やはり私は夢遊病者かもしれない...。